黒沢健一 ソロとして5年ぶりの新曲 ついにiTunes storeで配信決定!

1999年

そして、その後の黒沢はボーカリストとしての活動を一旦休止し、またデビュー以前の自分に遡るかのように、徳山秀典や、中島ちあきなど他のアーティストのプロデュース等を中心とした活動を精力的に始める。特にこの時期徳山秀典の2枚のアルバムや全シングルの殆どの作詞、作曲を手掛け、商業的な成功も手にするが、この時期に書かれた彼の作品はL⇔Rとしての作品や、ソロとしての作品には見られない明らかに日本のポピュラーシーンにおいての王道を意識した非常にクオリティの高い楽曲で占められており、ポップバンドのボーカリストとしてのイメージからある意味ポップスの裏方としての存在を今までとは違ったリスナー層に浸透させた成果は大きい。

2000年-2001年

それらのプロデューサーとしての活動の合間に、テレビドラマの挿入歌となったバラード「THIS SONG」、そのカップリングにバンド時代のツアー生活を回想したような「STAGE FRIGHT」というシングルを発表、そして徳山のアルバムの製作とほぼリンクするようにセカンドアルバム、「B」の製作を始める。

ファンの間で賛否両論を巻き起こしたこのアルバムは、「first」同様に多彩なゲストを迎えて製作された作品ではあるが、前作の「first」において見られた繊細な音像感の中に浮かび上がるような感覚は鳴りを潜め、どちらかと言えば、乾いた音像の中に日常的に使われる言葉を散りばめた、当時の彼の言葉によれば「日記」のようなアルバムであった。さらに感じるのは前作とは打って変わって黒沢の楽曲という素材を元に、リミックス的な感覚で仕上げられた楽曲も見受けられ、それはそれで意欲的な新しいアプローチともいえる。だが逆に考えれば、ソロアーティストとして以前と違った側面を見せようといった意識が感じられるプロダクトに違和感を持ったリスナーが少なからずいたということは、すでに黒沢のイメージがポップ・シーンの中に浸透しつつあったという事実を物語るエピソードである。

しかしながら、このアルバムでの「リトル・ソング」や「遠くまで」「Good To Me」「バラード」等の肩の力の抜けたようなそれでいてソングライターとしての非凡さを感じさせる楽曲の輝きは評価されてしかるべきであろう。

「B」発売後、ソロとしては初の本格的なライブツアーを開始する。クラブクアトロなど全国で行われた、このライブのチケットは即日完売、ライブパフォーマーとしての彼がいかに待ち望まれていたかが良く分かるエピソードである。

その他、福島県で行われたワン・ステップ・フェスティバルなど多数のイベントなどにも出演、それと平行してハイリミッツ、ふれあい、などの新人バンドのプロデュース、他アーティストへの楽曲提供など、ミュージシャンとして、そしてソロシンガーとしての活動は多忙を極める。



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